崔玄伯(読み)さいげんはく

世界大百科事典(旧版)内の崔玄伯の言及

【崔浩】より

…中国,北魏の官僚。清河(河北省清河県)の名族。父の崔宏(玄伯)は北魏帝国の制度草創に貢献した。崔浩は字を伯淵,学識は当代随一といわれ,その識見による判断の的確さから明元・太武2帝の信任を受けた。とくに太武帝の政治顧問をつとめて,華北統一戦争をことごとく成功にみちびいた。しかし漢族社会の貴族制を性急に導入しようとしたこと,国史編纂を総裁して国事を直筆したことなどが鮮卑人のあいだに反感を招き,部下や親戚ともども誅された。…

※「崔玄伯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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