崔道毌(読み)さいどうかん

世界大百科事典(旧版)内の崔道毌の言及

【崔子忠】より

…中国,明末の遺民画家。字は道毋(どうかん),号に北海,青蚓がある。山東省萊陽の出身で,後に順天(北京)に移った。1633年(崇禎6),董其昌に師事したことがある。明が滅びてからは清に仕えるのを拒否して,土室中にこもって餓死した。人物画を得意とし,陳洪綬と並んで〈南陳北崔〉と称せられた。六朝・唐の当時の伝世品に依拠した奇古の画風で名高く,独特の陰湿な画面は他に類例がない。妻子も絵をよくしたが,陳洪綬の人気にはとうてい及ばず,追倣者もごく少ない。…

※「崔道毌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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