世界大百科事典(旧版)内の《川中島軍記》の言及
【甲陽軍記物】より
…信玄の軍師,山本勘助の活躍が眼目の一つ。《川中島軍記》として講談に仕組まれ,江戸庶民に親しまれた。人形浄瑠璃としては,1721年(享保6)8月大坂竹本座上演の近松門左衛門作《信州川中島合戦》が初期の代表作。…
※「《川中島軍記》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…信玄の軍師,山本勘助の活躍が眼目の一つ。《川中島軍記》として講談に仕組まれ,江戸庶民に親しまれた。人形浄瑠璃としては,1721年(享保6)8月大坂竹本座上演の近松門左衛門作《信州川中島合戦》が初期の代表作。…
※「《川中島軍記》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...