川田琴卿(読み)かわだ・きんけい

朝日日本歴史人物事典 「川田琴卿」の解説

川田琴卿

没年:宝暦10.11.29(1761.1.4)
生年:貞享1.4.28(1684.6.11)
江戸時代中期の漢学者。江戸の人。名は資深,字は君淵,通称は半太夫。琴卿,雄琴と号す。初め梁田蛻巌に学び,のちに三輪執斎に師事して陽明学を修めた。越後流兵学にも通じていたという。享保17(1732)年,師執斎の推薦により,伊予(愛媛県)大洲藩儒となる。師没後江戸下谷にあった執斎の明倫堂を大洲に移して藩校とし,教学の復興に努めた。延享4(1747)年には,中江藤樹100年忌祭をとり行い,藤樹の遺徳を宣揚したほか,領内を遊説して,孝子節婦を選び『大洲好人録』5巻を著して,庶民教化に尽くした。

(高橋昌彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

関連語 川田雄琴

367日誕生日大事典 「川田琴卿」の解説

川田琴卿 (かわだきんけい)

生年月日:1684年4月28日
江戸時代中期の漢学者
1761年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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