世界大百科事典(旧版)内の《工芸の道》の言及
【民芸】より
…白樺派の創始者の一人であった柳宗悦は,生活と深い結びつきのある工芸の世界へと情熱を向け,民衆の日常生活のなかに厳然と生きている美の世界,すなわち民衆の工芸のうちに工芸そのものの真の姿のあることを強く提唱した。その第一歩として,1926年河井寛次郎や浜田庄司とはかり,すでに集められていた民芸品を公に展示すべく〈日本民芸美術館設立趣旨〉を発表するとともに,その理論づけとして《工芸の道》を刊行した。その後正しい民芸の意義づけが,地方的な風土や伝統の問題からも論じられるようになり,31年には月刊雑誌《工芸》を発刊,各地の民芸品の紹介が活発におこなわれ,それをもとに,さらに地方の伝統的な民芸品の復興と新作活動も各地でおこなわれるようになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」