帰熙甫(読み)ききほ

世界大百科事典(旧版)内の帰熙甫の言及

【帰有光】より

…中国,明代の文人。江蘇崑山の人。字は熙甫,震川先生と称された。嘉靖44年(1565)60歳で進士となり,長興知県,順徳府通判,南京太僕寺丞を歴任。《史記》,韓愈,欧陽修の古文を好み,その〈花史館記〉は《史記》に心酔したことを示す一例。当時の文壇は後七子の勢力が強く,彼はその中心である李攀竜(りはんりゆう),王世貞らを〈妄庸の巨子〉と批判し,王世貞らも,彼の古文を認めなかった。王世貞は晩年に〈帰太僕賛〉を作り〈千載公有って韓・欧陽を継ぐ〉とほめた。…

※「帰熙甫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

東日本大震災を受け2011年6月に成立した津波対策推進法で、故事「稲むらの火」にちなみ、11月5日と定めた。江戸時代の1854年11月5日(旧暦)、安政南海地震で大津波が発生。現在の和歌山県広川町で...

津波防災の日の用語解説を読む