世界大百科事典(旧版)内の常盤源二光長の言及
【常盤光長】より
…生没年をはじめ経歴の詳細は不明であるが,後世土佐派の系図において,基光,隆能などに続く祖先の一人に列せられて土佐光長などと呼ばれ,当時の能画の第一人者と目された。この光長は,後白河上皇の寵妃建春門院が建立した最勝光院の御堂や御所の障子絵制作を命ぜられた常盤源二光長と同一人物と考えられる。彼は法華経二十八品の絵を描いたほかに,上皇と女院の平野行啓,高野御幸,日吉御幸の情景を描いたが,供奉の人々の面貌だけは藤原隆信が仕上げたとの記録がある。…
※「常盤源二光長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」