平子重嗣(読み)ひらこしげつぐ

世界大百科事典(旧版)内の平子重嗣の言及

【周防国】より


[南北朝動乱と大内氏]
 1333年(元弘3)公家一統の世となると,周防は一時大内裏(だいだいり)造営料国に寄せられたが,新政の崩壊に伴い旧に復した。また平子重嗣らの仁保荘地頭職が33年収公されたが,翌年には再安堵された。35年(建武2)朝廷が差遣した足利尊氏征討軍には大内弘直が参加したが,翌年正月京都に入った尊氏方には弘直を除く大内氏一族が加わっていた。…

※「平子重嗣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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