世界大百科事典(旧版)内の《平家音楽史》の言及
【平曲】より
… 明治時代になり,新政府が当道を廃止したため,収入の道の途絶えた平曲家たちは鍼灸(しんきゆう)の仕事などに転向することになる。前田流を伝えた津軽藩士の家の出である館山漸之進(ぜんのしん)(1845‐1916)はこうした平曲の衰運を嘆き,明治末年,平曲の保存と平曲家の育成に奔走し,1910年《平家音楽史》を自費出版するなど,平曲保存に力を尽くした。一方,京都に伝えられた波多野流は,最後の検校といわれた藤村性禅(しようぜん)(1853‐1911)の門下に専門家,しろうと合わせて何人かの弟子があったが,第2次世界大戦後,後継者は絶えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」