平田七宝(読み)ひらたしっぽう

世界大百科事典(旧版)内の平田七宝の言及

【七宝】より

…その後,遺品的には空白の時代になるが,桃山末~江戸時代初めに朝鮮人から七宝の技術を学んだ京都の平田彦四郎道仁(どうにん)(1591‐1646)が〈花雲文七宝鐔(つば)〉など注目すべき遺品を残した。平田一派は江戸幕府御抱え七宝師となり,〈平田七宝〉として鐔,小柄(こづか),目貫(めぬき)などの刀剣装飾に腕を振るった。また粋を極めた桂離宮の襖の引手などに施された小道具は注目すべきものである。…

【平田道仁】より

…おもに装剣関係品に腕をふるい,初代道仁の作と伝える《花雲文七宝鐔》はその代表作である。平田七宝の技法的特徴は,精緻な文様を金の有線七宝で表し,さらに金の据紋(すえもん)象嵌を併用するところにある。【鈴木 規夫】。…

※「平田七宝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」