世界大百科事典(旧版)内の広峯家長の言及
【広峯氏】より
…播磨国広峰神社の社家を世襲した豪族。広峯氏系図によると凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)5代の子孫勢連以後,広峯氏を称し,代々広峰社大別当職に補任(ぶにん)された。鎌倉時代の大別当勝賀の嫡女の嫡男とされる左兵衛尉家長は,関東御家人として1256年(康元1)に山陽道小宅~賀古川宿間の輸送警固に従事し,その子長祐も79年(弘安2)父に代わって京都大番役をつとめ,81年に家長から広峰社下司大別当職など所職(しよしき),田畠(でんぱく),所従(しよじゆう)等を譲り渡されている。…
※「広峯家長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」