世界大百科事典(旧版)内の広沢岩助の言及
【浪花節】より
…近世浪花節の祖ともいうべきは,享保(1716‐36)ごろの浪花伊助で,彼は三味線をひき,弟にちょんがれを語らせ,浪花節の興隆に寄与した。その門人秀吉,さらに秀吉門下の竹川粂吉(くめきち),広沢岩助,吉田岩吉,都三光,吉川岩丸などは,いずれも浪花節発達史の初頭を飾る逸材だった。とりわけ特筆すべきは,幕末の竹川粂吉と広沢岩助で,粂吉の美声高音と岩助の微妙な三弦と節とは,祭文の臭みが抜けきれなかった伊助や秀吉の芸を改革し,純粋の浪花節にまで高めた。…
※「広沢岩助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」