広道渠(読み)こうどうきょ

世界大百科事典(旧版)内の広道渠の言及

【文帝】より

… 彼の治績中とりわけ注目されるのは589年(開皇9)の南朝併合であり,南北統一国家にふさわしい中央集権化のため中央官制・地方行政制度の整備改革に腐心している。すでに即位の翌年,従来の長安城東南にあたる竜首原に,中国最初の計画都市である新長安城すなわち大興城を築いているが,584年に長安と黄河を結ぶ運河,広道渠を,587年には淮河(わいが)と長江(揚子江)を結ぶ山陽瀆(刊溝)を開き,東西・南北の円滑な交流を図った。また開皇律令を制定したこと,均田,租庸調・府兵などの各制度はいずれも北朝にならったとはいえ,全国一律に体系化したことは高く評価される。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」