世界大百科事典(旧版)内の庄内の乱の言及
【大隅国】より
…大隅国は島津氏に対抗した蒲生,菱刈,禰寝,肝付などの豪族支配地であったから,平定以後はそれらの家臣団を解体して薩摩地方に移したり,または農民化して,島津氏股肱(ここう)を各地より移して支配体制を固めた。近世における大事件は1599年(慶長4)の伊集院忠棟の子忠真の庄内の乱,1708年(宝永5)8月のイタリア人宣教師シドッチの屋久島密上陸である。薩摩地方とは生産力の格差が大きいので,薩摩藩当局は人配(にんばい)という政策をとって,薩摩の過剰人口を大隅に移すことに努めた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」