世界大百科事典(旧版)内の廬山寺流の言及
【廬山寺】より
…1245年(寛元3)住心房覚瑜(かくゆ)が出雲路に寺を建て廬山と号し,本光が草庵を北小路に結んで講席を開き,明導が両師の跡を継いで2寺を併せたといい,寺地は一条猪熊(いのくま)にあった。明導と次の実導は,ともに法曼流の密教宗と西山流の浄土教を受け,教学を振興させたので,その法流を廬山寺流という。1569年(永禄12)類焼したときの再建の勧進状に,当寺は〈洛中の叡山,日本の虎渓〉であると述べている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」