世界大百科事典(旧版)内の廻船下り塩問屋の言及
【下り塩】より
…また,常州下館の醸造家中村家でも享保期に年間1000俵から2000俵の竹原,波止浜,赤穂の塩を購入している。 江戸でこれら下り塩の流通に携わったのは,廻船下り塩問屋(下り廻船塩問屋)と塩仲買である。廻船下り塩問屋ができたのは1633年(寛永10)ころといわれているが,下り塩問屋,同仲買株が公認されたのは享保期である。…
【塩問屋】より
…そして1905年塩専売制の実施によって塩の販売権は政府がもつようになる。
[三都の塩問屋]
江戸には元和年間(1615‐24)から廻船によって瀬戸内産塩が流入しているが,その塩を取り扱う廻船下り塩問屋ができたのは1633年(寛永10)ころである。これは荷受問屋であって,荷主と塩仲買の仲介を行うことによって口銭を得た。…
※「廻船下り塩問屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」