張侯論語(読み)ちょうこうろんご

世界大百科事典(旧版)内の張侯論語の言及

【論語】より

…その成立は,おそらく門人たちの記録に始まり,後からの種々の記録も重なり,やがて整理が施されて書物の形をとることになったもので,漢代では《古論語》21編,《魯論語》20編,《斉論語》22編という3種が伝えられていた。後漢の時代に,張禹がその《魯論語》を中心とした三者の校定本(〈張侯論語〉)を作り,それが今に伝わる《論語》となった。 漢の武帝のとき(前136)儒教が国教となって五経が尊重されると,聖人孔子の像の確立とともに《論語》と《孝経》も五経に準じて尊重され,その後,朝廷の詔勅や上奏文その他に多く引用されるようになった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」