当麻派(読み)たいまは

世界大百科事典(旧版)内の当麻派の言及

【時宗】より

…5世安国のとき,この寺は一宗の本山となり,6世一鎮のときに清浄光(しようじようこう)寺と名を改めた。こうして時宗は,遊行派(清浄光寺)と当麻派(無量光寺)に分かれたが,1697年(元禄10)に呑了が著した《時宗要略譜》には,遊行,一向,奥谷,当麻,四条,六条,解意,霊山,国阿,市屋,天童,御影堂の12派が記されている。このなかで室町~江戸時代を通じて最も大きな力を持っていたのは遊行派であった。…

【大和物】より

…包永は同名が数代南北朝時代まで続き,一門には包利,包清,包吉,包重,包真など〈包〉の字を冠する者が多く,他派が比較的早く衰えたのに対し,室町時代まで栄えている。また,当麻派は当麻寺に関係があった一派といい,鎌倉時代中期の国行を祖とし,南北朝時代まで続き,国清,友清,友行,有俊らの刀工が知られている。尻懸派の居住地は手向山(たむけやま)八幡宮,天理市岸田町尻懸,宇陀郡御杖村尻懸など諸説があり,建治年間(1275‐78)の則弘を祖としている。…

※「当麻派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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