《征露歌》(読み)せいろか

世界大百科事典(旧版)内の《征露歌》の言及

【ブラゴベシチェンスク】より

…これ以後ロシア軍は黒竜江を渡り,璦琿(あいぐん)(現,愛輝)など中国の町や村を焼き払い,住民を虐殺した。日本では日露開戦に向けて反露感情をあおるために〈アムール河の流血〉と喧伝され,〈西暦一千九百年 うらみは長きアムールや 露人の暴に清の民 罪なく逝けり数五千 いうなかれただ清人と 金色の民かれもまた ああうらみなり残虐の 蛮族いかで許すべき〉(青木得三作詞《征露歌》)などの歌も流行した。【井口 和起】。…

※「《征露歌》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む