後漢鏡(読み)ごかんきょう

世界大百科事典(旧版)内の後漢鏡の言及

【鏡】より

…現在までの発見例はわずか5面分だが,最初に遭遇した銅鏡が呪術用具だったことが,その後の日本における鏡の歴史に影響を与えなかったかどうか,興味深いところである。その流入の時期は弥生時代前期末のことだったが,中期中ごろ以降になると,中国の前漢鏡,つづいて後漢鏡が出現する。それらは北部九州地方に集中して出土する傾向を示し,30面以上という多数を1基に副葬した甕棺墓が博多湾岸とその周辺にある点,これらの中国鏡が日本列島への搬入後あまり時間をおかずに副葬されている点が特色といえる。…

※「後漢鏡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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