《後素集》(読み)こうそしゅう

世界大百科事典(旧版)内の《後素集》の言及

【画論】より

… 17世紀に入ると,中国から新たにもたらされた画論の刺激や,画壇における流派の固定化とそれにともなう過去の伝統回顧の気運を背景に,画論・画史の作成が狩野派,土佐派の画家によって行われた。狩野一渓(1599‐1662)の《後素集》(1623)は,中国画論や画題の簡略な紹介であり,同じく一渓の《丹青若木集》は,慶安~承応(1648-55)の間の成立とされ,室町時代以降の153名の日本画家の略伝に短評を加えて,日本画家伝の最初とされるが,同じころ狩野素川(1607‐58)も《図絵宝鑑》と題する,より詳細な日本画家伝を編んだことが知られている。また《画工便覧》(1673ころ)は,《丹青若木集》の増補版というべき性質のものである。…

※「《後素集》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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