世界大百科事典(旧版)内の後飛鳥岡本宮の言及
【飛鳥板蓋宮】より
…《扶桑略記》は一説云として,飛鳥岡本宮と同地とする説を掲げている。《日本書紀》によれば,飛鳥岡本宮は舒明2年(630)10月~8年6月,後飛鳥岡本宮は斉明2年,天武1年(672)に存在していたことが確実であり,飛鳥板蓋宮の存続していた時期は飛鳥岡本宮と後飛鳥岡本宮の中間であるから,《扶桑略記》の一説が成立する可能性はある。後飛鳥岡本宮の南に飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)が造営されたから,飛鳥板蓋宮,(後)飛鳥岡本宮,飛鳥浄御原宮は相互に近接し,また,一部分が重層している可能性がある。…
【飛鳥岡本宮】より
…舒明天皇の飛鳥岡本宮と,その皇后であった斉明天皇の後飛鳥岡本宮がある。630年(舒明2)10月,舒明天皇は飛鳥岡のそばに,岡本宮を営んだ。…
※「後飛鳥岡本宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」