世界大百科事典(旧版)内の徐摛の言及
【簡文帝】より
…早熟の天才で学問は該博をきわめ,とくに詩を好んだ。その東宮サロンで徐摛(じよち)(472‐549)らとはじめた男女間の情愛をきめ細かにうたう軽艶の新体詩は〈宮体詩〉と呼ばれ,放蕩文学流行の風を開いた。【安田 二郎】。…
※「徐摛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…早熟の天才で学問は該博をきわめ,とくに詩を好んだ。その東宮サロンで徐摛(じよち)(472‐549)らとはじめた男女間の情愛をきめ細かにうたう軽艶の新体詩は〈宮体詩〉と呼ばれ,放蕩文学流行の風を開いた。【安田 二郎】。…
※「徐摛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」