世界大百科事典(旧版)内の御囲堤の言及
【木曾川】より
… 1586年(天正14)大洪水の被害をこうむった尾張に,93年(文禄2)豊臣秀吉が築堤し,京畿の浮浪労働力をもつぎ込んで,その復旧開発にあたらせた。徳川家康は,義直を尾張に入れるや,尾張に流れ込んでいる木曾川八筋の分流を締め切り,犬山から河口に近い弥富まで連続する堤(御囲堤)を築かせた。同じころ,美濃側にも堤が築かれたが,以来美濃側に大きな被害が出るようになった。…
【美濃国】より
…その転換期が,薩摩藩による三川分流工事が行われたころであることが注目される。 さて,濃尾の治水事情を大きく左右する木曾川築堤工事は,早くも秀吉が文禄年間(1592‐96)に行い,江戸幕府による1609年の御囲堤(おかこいづつみ)築造が知られる。これらの大工事と,尾張藩の木曾山,木曾川の一元的にして強力な支配とが,美濃側の木曾川堤は対岸の御囲堤より3尺低くしなければならない,との伝承を生む一因となった。…
※「御囲堤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」