御子左流(読み)みこひだりりゅう

世界大百科事典(旧版)内の御子左流の言及

【蹴鞠】より

…成通の門下の逸才と知られた藤原頼輔の孫の宗長(難波(なんば)流)と雅経(飛鳥井(あすかい)流)のときからは流派を生じ,おおかたの方式はこのときにきまった。難波,飛鳥井の両流のほかに,藤原為家もこの道の達人として,その門流を御子左(みこひだり)流といった。また加茂の氏人(うじびと)たちの間には地下鞠(じげまり)がおこなわれた。…

【御子左家】より

…勅撰和歌集21集のうち,第7の《千載和歌集》以後は,《風雅和歌集》《新続古今和歌集》の二つを除き,すべてこの家系の人々,とくに二条家の人々を中心に編まれたことが象徴するように,御子左家は各家に分かれてのちも歌の家として和歌文学史上に大きな足跡を残した。なお為家は蹴鞠にも秀で,その流れは御子左流といわれて飛鳥井(あすかい)流と並び世に重んじられた。【新井 栄蔵】。…

※「御子左流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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