御留守茶屋(読み)おるすぢゃや

世界大百科事典(旧版)内の御留守茶屋の言及

【料理茶屋】より

…松平不昧(ふまい)の父の宗衍(むねのぶ)が大のひいきで,彼が贈った大きな扁額の文字から〈望汰欄(ぼうだらん)〉とも呼ばれた。当時の社用族ともいうべき諸藩の江戸留守居役や取引先の商人などを顧客としたこの種の店は〈御留守茶屋〉の称があり,升屋はその最たるものであったため,田沼失脚とともに急激に衰えた。天明期(1781‐89)にはこの升屋のほか,向島の葛西太郎(のち平岩),大黒屋孫四郎,武蔵屋権三郎(麦斗庵),真崎稲荷(現,台東区石浜町)境内の甲子(きのえね)屋,中洲の四季庵,深川八幡社内の二軒茶屋,日本橋浮世小路の百川(ももかわ),神田佐柄木町山藤(さんとう)などが評判の店だったと斎藤月岑(げつしん)の《武江年表》は記している。…

※「御留守茶屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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