《御製十全記》(読み)ぎょせいじゅうぜんき

世界大百科事典(旧版)内の《御製十全記》の言及

【乾隆帝】より

…このほか,シャム(今日のタイ),ベトナム,ビルマ(今日のミャンマー)を朝貢国とし,台湾の天地会による反清暴動を鎮圧した清軍はさらに,91年,チベット侵入をはかったグルカへ遠征し,カトマンズの近くにまで迫った。乾隆帝はかかる武功を誇り,《御製十全記》を作り,みずから十全老人と称した。 多民族に君臨する自負から,帝はモンゴル文,チベット文を誦習し,明確な政策的意図をもってラマ教を信仰した。…

※「《御製十全記》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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