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徳川宗尹 とくがわ むねただ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳川宗尹 とくがわ-むねただ

一橋宗尹(ひとつばし-むねただ)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

徳川宗尹

没年:明和1.12.22(1765.1.13)
生年:享保6.閏7.16(1721.9.7)
江戸中期,徳川御三卿一橋家の祖。8代将軍徳川吉宗の4男,母はお梅(深心院)。江戸城に生まれ,小五郎と称した。享保20(1735)年元服して刑部卿と称し,元文5(1740)年江戸城一橋門内に屋敷を与えられ3万俵を給せられ,翌寛保1(1741)年一橋邸に移り住んで一橋家と呼ばれるようになった。延享3(1746)年関東,関西6カ国で10万石の領地を与えられ,家臣も幕臣が付属された。鷹狩りを好み,また手拭などを自ら染めたり,陶製などの茶器,置物などを制作するなどの趣味もあった。<参考文献>辻達也編『新稿一橋徳川家記』

(上野秀治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の徳川宗尹の言及

【一橋家】より

三卿の一つ。8代将軍徳川吉宗の四男宗尹(むねただ)を祖とし,1740年(元文5)江戸城一橋御門内に屋敷を与えられたところから一橋家と称した。高10万石。三卿は三家とともに将軍家の血統保持の役目をもち,一橋家からは2代治済の四男家斉が11代将軍となり,徳川斉昭の七男で一橋家を継いだ慶喜が15代将軍となった。【藤野 保】…

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