日本大百科全書(ニッポニカ) 「一橋家」の意味・わかりやすい解説
一橋家
ひとつばしけ
御三卿(ごさんきょう)の一つ。8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)四男宗尹(むねただ)を祖とする。宗尹は1735年(享保20)元服して徳川を名のり、40年(元文5)江戸城一橋門内に屋敷を与えられた。この屋敷を一橋屋形(やかた)と称したことから一橋家とよばれる。ついで1746年(延享3)には兄田安宗武(たやすむねたけ)とともに10万石の領地を給せられ、将軍の家族の一員として待遇された。以後治済(はるさだ)、斉敦(なりあつ)、斉礼(なりのり)、斉位(なりくら)、慶昌(よしまさ)、慶寿、昌丸(まさまる)、慶喜(よしのぶ)、茂栄(もちはる)と10代続いて維新を迎えた。2代治済の四男豊千代(とよちよ)は、11代将軍家斉(いえなり)となったため当家は一時幕府内で力をもった。また9代慶喜(水戸の徳川斉昭(なりあき)七男)は幕末14代将軍家茂(いえもち)の後見職として活躍、その死後15代将軍となった。なお、当家伝来の史料などは茨城県歴史館に寄贈されている。
[上野秀治]
『辻達也編『新稿一橋徳川家記』(1983・続群書類従完成会)』