徳川慶福(読み)とくがわ よしとみ

世界大百科事典(旧版)内の徳川慶福の言及

【安政の大獄】より

…このとき,継嗣候補者と目されていた人物は2人あった。1人は家定の従兄にあたる紀州藩主徳川慶福(よしとみ)(のち家茂(いえもち))である。慶福を中心になって推したのは紀州藩付家老水野忠央と彦根藩主井伊直弼であり,幕閣を構成する譜代大名の多くが,これを支持した。…

【将軍継嗣問題】より

…一橋派には幕政改革を求める雄藩主や開明派の幕臣が連なり,幕府を欧米型の近代国家の方向へ脱皮させようともくろんだ。これに対し家定は,自分の後継ぎに紀州藩主の徳川慶福(よしとみ)を望んだ。幕府をこれまでどおりに運営すればいいと考える譜代大名の多くが紀州派に集まった。…

【徳川家茂】より

…江戸幕府14代将軍。紀州藩主徳川斉順の長子。1849年(嘉永2)紀州藩主,58年(安政5)13代将軍家定の継嗣となり,同年の家定死去により将軍位を継いだ。藩主時代の名は慶福(よしとみ),将軍になって家茂と改める。最初の後見職は田安慶頼。大老井伊直弼は家茂と慶頼を上に戴いて安政の大獄を強行した。井伊暗殺翌々年の62年(文久2),公武合体の一方策として皇女和宮と結婚,その年田安慶頼を罷免したが,勅使の干渉により将軍継嗣問題でのライバルだった一橋慶喜を2人目の後見職に任命せざるをえなかった。…

※「徳川慶福」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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