応天府(読み)おうてんふ

世界大百科事典(旧版)内の応天府の言及

【南京】より

…これらが明・清の産業発達の基盤をなしていく。
[南京の成立]
 元末の反乱の中より江南を掌握した朱元璋(洪武帝)は,全国統一へ向けての拠点として集慶路を応天府と改めた。1368年(洪武1)全国を統一して明を建てたとき,暫定的に応天府を京師(天子の都)とし,より北方に国都を設けるべく当初は開封を北京(ほくけい)とし,応天を南京(なんけい)と呼んだ。…

※「応天府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む