世界大百科事典(旧版)内の《悲愴曲》の言及
【ドービニェ】より
…72年サン・バルテルミの虐殺をあやうくのがれ,ナバール王とともに南仏に脱出。77年負傷し,90年にいたる間に《悲愴曲》(1616)を書く。これは9000行を超える宗教的叙事詩であり,プロテスタントの立場からフランスの民衆の悲惨を嘆き,王侯の独善を非難し,受難者たちを賛美し,復讐と審判を説く。…
※「《悲愴曲》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…72年サン・バルテルミの虐殺をあやうくのがれ,ナバール王とともに南仏に脱出。77年負傷し,90年にいたる間に《悲愴曲》(1616)を書く。これは9000行を超える宗教的叙事詩であり,プロテスタントの立場からフランスの民衆の悲惨を嘆き,王侯の独善を非難し,受難者たちを賛美し,復讐と審判を説く。…
※「《悲愴曲》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...