世界大百科事典(旧版)内の《悲愴曲》の言及
【ドービニェ】より
…72年サン・バルテルミの虐殺をあやうくのがれ,ナバール王とともに南仏に脱出。77年負傷し,90年にいたる間に《悲愴曲》(1616)を書く。これは9000行を超える宗教的叙事詩であり,プロテスタントの立場からフランスの民衆の悲惨を嘆き,王侯の独善を非難し,受難者たちを賛美し,復讐と審判を説く。…
※「《悲愴曲》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…72年サン・バルテルミの虐殺をあやうくのがれ,ナバール王とともに南仏に脱出。77年負傷し,90年にいたる間に《悲愴曲》(1616)を書く。これは9000行を超える宗教的叙事詩であり,プロテスタントの立場からフランスの民衆の悲惨を嘆き,王侯の独善を非難し,受難者たちを賛美し,復讐と審判を説く。…
※「《悲愴曲》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
企業の退職を希望する従業員本人に代わって退職に必要な手続きを代行するサービス。依頼者と会社の間に入ることで円滑な退職をサポートするとともに、会社への連絡などを代わりに行うことで依頼者の心理的負担を軽減...