世界大百科事典(旧版)内の愛智川市の言及
【愛知川[町]】より
…《太平記》によれば,北畠顕家も1336年(延元1∥建武3)西上のおり,愛智河宿を通っている。街道沿いのため,商業の発達がめざましく,市が形成され,愛智川市,愛智川中橋市などと称された。この付近一帯は近世にかけて,近江商人の主要出身地となる。…
※「愛智川市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…《太平記》によれば,北畠顕家も1336年(延元1∥建武3)西上のおり,愛智河宿を通っている。街道沿いのため,商業の発達がめざましく,市が形成され,愛智川市,愛智川中橋市などと称された。この付近一帯は近世にかけて,近江商人の主要出身地となる。…
※「愛智川市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...