慶応軍制改革(読み)けいおうぐんせいかいかく

世界大百科事典(旧版)内の慶応軍制改革の言及

【大村益次郎】より

…60年(万延1)軍制改革途上の長州藩に呼び戻され,雇士,馬廻士に準じ,のち手廻組に入り,博習堂用掛などを経て64年(元治1)藩校明倫館兵学寮教授になるなど同藩軍制改革に参画した。65年(慶応1)以後は,長州藩の実権を握った討幕派の指導者,木戸孝允,前原一誠らに重用され,西洋流の装条銃を中心とする近代的軍備を徹底させる慶応軍制改革に中心的役割を果たし,このころから農町兵の組織化を積極的に打ち出した。第2次長州征伐に際し,軍政用掛として軍略面を担当し,石州口軍事参謀として幕軍を敗走させ,全軍の作戦についても,大局観と現実性に秀でた戦略を提案し,軍政に不動の地位を得た。…

※「慶応軍制改革」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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