《慶長元年大地震記》(読み)けいちょうがんねんおおじしんき

世界大百科事典(旧版)内の《慶長元年大地震記》の言及

【義演准后日記】より

…39歳から69歳の死の直前まで書き続けている。なお〈慶長元年大地震記〉〈慶長19年有馬湯治記〉などの別記があり,紙背文書には重要なものを含む。豊臣秀吉の晩年から3代将軍徳川家光の治世の初期にいたる激動期がこの日記の書かれた時代で,公家・武家の上層部と親しく,政界に近づいた傑僧義演は政治的動向に対する関心も鋭く,醍醐寺関係の記事が詳しいのは別としても武将の動向,朝廷貴族層の動向,仏教界の動向などを筆まめに書き留めていて,当時の歴史の基礎史料として重要である。…

※「《慶長元年大地震記》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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