世界大百科事典(旧版)内の懐月堂美人の言及
【懐月堂安度】より
…浮世絵師にはめずらしく肉筆画を専門として版画を作らず,豪奢(ごうしや)な衣装を着た大柄な立美人の掛幅画を,門弟たちをも動員して量産した。肥瘦の変化に富む奔放な描線と原色的な絵具を好んで用いる明快な配色とによる類型的な美人画は,後世〈懐月堂美人〉と愛称され,18世紀初頭(元禄~正徳)の江戸で大いに流行した。1714年(正徳4)江島事件に連座して伊豆大島に配流されるが,まもなく許されて江戸へ戻ったらしく,33年(享保18)まで活躍をつづけたことがほぼ確認されている。…
※「懐月堂美人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」