《戯場粋言幕の外》(読み)けじょうすいげんまくのそと

世界大百科事典(旧版)内の《戯場粋言幕の外》の言及

【客者評判記】より

…なお,開口の見物左衛門の話は,市川団十郎(5世)・烏亭焉馬の《五百崎(いおざき)虫の評判》(1804刊)の模倣。同じ三馬の《戯場粋言(けじようすいげん)幕の外》(1806序文)が劇場内の観劇風景を記したのに対し,本書は,観客諸層の芝居観をうがったところにおもしろさがある。当時,評判記形式による比較・批評が流行したが,その類書の一つ。…

【式亭三馬】より

…江戸後期の洒落本・滑稽本・黄表紙・合巻作者。姓は菊地,名は久徳,または太(泰)輔,通称は西宮太助。別号は本町庵(ほんちようあん),四季山人,哆囉哩楼(たらりろう)主人など。江戸浅草田原町に生まれた。父茂兵衛は八丈小島の為朝明神の祠官菊地壱岐守の庶子というが,板木師であった。幼くして戯作を好み,書肆堀野屋に奉公し,またおなじく万屋(よろずや)に聟入りしたこともあり,戯作の修業を積んだ。のち旧主堀野屋の妹と結婚して虎之助(式亭小三馬)をもうけ,日本橋本町に化粧品・売薬店を経営して化粧水〈江戸の水〉,売薬〈仙方延寿丹〉などを売り出して成功するなど,商才もあった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」