手搔派(読み)てがいは

世界大百科事典(旧版)内の手搔派の言及

【大和物】より

…しかし,この2工の作は現存せず,鎌倉時代の重行,重吉,康重や南北朝時代の長吉,吉広らの作がわずかにあるにすぎない。手搔派は東大寺転害門の外辺に居住した一派で,東大寺に隷属した刀工団といわれ,鎌倉時代中期,正応(1288‐93)ころの包永(かねなが)を祖としている。包永は同名が数代南北朝時代まで続き,一門には包利,包清,包吉,包重,包真など〈包〉の字を冠する者が多く,他派が比較的早く衰えたのに対し,室町時代まで栄えている。…

※「手搔派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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