世界大百科事典(旧版)内の扶南大王の言及
【扶南】より
… 中国史料は建国後の扶南を以下のように伝えている。混塡の子孫の混盤況,盤盤へと王位は継承され,次いで将軍の范師蔓(はんしまん)が王となり,近隣を征服して扶南大王と名乗った。その支配地域は,西はマレー半島北部から大ビルマに及び,東ではベトナムのチャンパ王国と国境を接し,北には属国の真臘(しんろう)を従えていた。…
※「扶南大王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
… 中国史料は建国後の扶南を以下のように伝えている。混塡の子孫の混盤況,盤盤へと王位は継承され,次いで将軍の范師蔓(はんしまん)が王となり,近隣を征服して扶南大王と名乗った。その支配地域は,西はマレー半島北部から大ビルマに及び,東ではベトナムのチャンパ王国と国境を接し,北には属国の真臘(しんろう)を従えていた。…
※「扶南大王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
3月14日。日本数学検定協会が制定。生涯学習としての数学を幅広い世代にPRする。円周率の値3.14に由来する。...