世界大百科事典(旧版)内の《抱寝の長脇差》の言及
【山中貞雄】より
…マキノ省三の下をへて嵐寛寿郎プロで才能を認められ,脚本家として,次いで監督としてデビュー。第1回監督作品《磯の源太・抱寝(だきね)の長脇差》(嵐寛寿郎主演)を発表した1932年から,遺作になった《人情紙風船》を撮り上げ,のち召集されて戦地で病没した38年まで,6年間に無声映画10本,トーキー作品12本を残した。無声映画時代には,巧みな場面転換と字幕の挿入による独特の映画的〈話術〉を確立し,さらにトーキー時代に入ってからは,主として小市民的な生活感を時代劇に移入して〈時代劇の小市民映画〉と評され,新しい感覚とスタイルをスクリーンに造形した特異な時代劇監督であった。…
※「《抱寝の長脇差》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」