世界大百科事典(旧版)内のアウレリアヌスの城壁の言及
【城】より
…人類の発生以来争闘は絶えることなく,定住生活が始まるとともに外敵の侵入に対する防御が必要とされたが,集落が形成されると集落単位で柵や環濠を設けたことが知られる。日本でもすでに弥生時代の集落址にこうした例が多くみられ,これらがのちの城郭の先駆的形態と考えられる。しかし整備された城が特に必要とされるのは都市や国家の成立に伴ってであり,他の国家・種族の襲来に備えることはもちろん,領内の被支配者からの攻撃に備えて城を営むことも,世界各地で近世まで行われた。…
【ローマ】より
…彼にイリュリクム出身の皇帝が続き帝国再建の努力を続ける。ゴート族を退けたクラウディウス2世(在位268‐270)に続いて,アウレリアヌス(在位270‐275)はダキアを放棄したがパルミュラを破壊して女王ゼノビアを捕虜とし(273),ガリアを回復し,ローマに〈アウレリアヌスの城壁〉を築いて首都の守りを固めた。彼はシリアの太陽神の加護によってパルミュラ戦に勝利したと信じて,エラガバルスのあとローマ市から戻されていた太陽神の神体を再びローマに運び国家神とした。…
※「アウレリアヌスの城壁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」