世界大百科事典(旧版)内の拓俊京の言及
【李資謙】より
…1126年(仁宗4),李資謙の横暴を憎んだ仁宗は彼の一党を排除しようと図ったが失敗に終わり,王宮が焼かれ王は軟禁された(李資謙の乱)。しかし,同じ一党の実力者拓俊京と対立した李資謙は,ついに逮捕,流配され,その年内に配所で死去した。殺されたものと思われる。…
※「拓俊京」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…1126年(仁宗4),李資謙の横暴を憎んだ仁宗は彼の一党を排除しようと図ったが失敗に終わり,王宮が焼かれ王は軟禁された(李資謙の乱)。しかし,同じ一党の実力者拓俊京と対立した李資謙は,ついに逮捕,流配され,その年内に配所で死去した。殺されたものと思われる。…
※「拓俊京」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新