《拾遺百番歌合》(読み)しゅういひゃくばんうたあわせ

世界大百科事典(旧版)内の《拾遺百番歌合》の言及

【散佚物語】より

…1055年(天喜3)5月に禖子(ばいし)内親王家で18の新作物語を18人の女房に披露させたが,小式部という女房作の《逢坂越えぬ権中納言》だけが,現在《堤中納言物語》の中の一編として残り,残りの17作は,その中の4作ばかりを《風葉和歌集》には残していたものの,今はそれも含めてすべて滅んだ。鎌倉初期に藤原定家が《源氏物語》の歌に当時流行の10物語の歌を合わせて《拾遺百番歌合》を作ったが,その中の8物語は散佚,同じ鎌倉初期に成ったという《無名草子》という物語評論書に見える28物語のうち19物語は散佚している。現在知られている240種の散佚物語の中には,名だけしか残らぬものも多いが,残存資料をつなぎ合わせて,ある程度,筋などの再建できるものもある。…

※「《拾遺百番歌合》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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