世界大百科事典(旧版)内の支那学社の言及
【中国学】より
…中国学という呼称は,従来は支那学とよばれてきて,今もその名称が使われることもあり,元来は西洋とくにフランスで18世紀に起こったシノロジーsinologieの訳語であった。この学風の実質は,中国本土においても存在し,これを国学あるいは漢学と称したが,20世紀に入って日本の京都で栄えた中国に関する学派が,狩野直喜(かのなおき),内藤湖南を中心に哲学,文学,史学の研究者,学生を網羅した支那学会という学会をつくり,その分派として雑誌《支那学》を編集発行する同人の集りを支那学社と称したのは,西洋のシノロジーを意識してのことであった。第2次世界大戦後,京都の支那学会が休眠状態に陥る一方,全国的規模で新たに組織され,年刊の《日本中国学会報》を発行している日本中国学会は,主として中国哲学,中国文学の研究者によってのみ構成されており,中国史学の研究者はこの学会に加わらず,東洋史の主要メンバーとして日本史や西洋史の研究者とともにいくつかの歴史学会としてのまとまりを呈し活動している。…
※「支那学社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」