世界大百科事典(旧版)内の《改良日本稲作法》の言及
【酒勾常明】より
…のちに帝国大学農科大学教授をへて農商務省農務局長に昇進(1903)した。農学者酒勾は《改良日本稲作法》(1887)を著して経験的稲作法を批判し,農政家としては各種農業法令を整備し,強権的農事指導を行った。1906年官を辞し大日本製糖の社長に就任後,糖業保護に関する汚職事件〈日糖疑獄〉がおこり,彼自身は潔白であったが,責任をとり自殺した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」