世界大百科事典(旧版)内の改良説経節の言及
【若松若太夫】より
…家は農商兼業であったが,祖父が観世流能の師匠,父は祭文の名人という環境から11歳で説経節を志して上京,〈説経祭文〉の薩摩辰太夫に入門した。天性と修業が相まって習熟し,16世家元を称したが,1902年義太夫節,新内節,講釈などの詞章曲節を加味して〈改良説経節〉を称して若松派を創立,名も若松若太夫と改めて初世家元となった。08年の演奏会では人形を操らせ,その美音,声量,豪快にして繊麗,卑俗を脱した気品ある語り口で人気を得,彼の名が公になった。…
※「改良説経節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」