世界大百科事典(旧版)内の改革都市法典の言及
【ツァジウス】より
…しかし同時に,つねに実務を念頭においており,個々の問題の解決において伝統的・スコラ的方法の影響を強く示してもいる。1520年のフライブルク都市法の起草(ローマ法源の適切な採用,固有法源の十分な尊重,卓抜した立法技術により,もっともすぐれた改革都市法典とされる)は,その法学の真髄を示したものといえる。【佐々木 有司】。…
【フランクフルト・アム・マイン】より
…このころ,そのほかにフリートベルク,ゲルンハウゼン,リンブルク,ウェツラーなどをも娘都市とする〈都市法家族〉が形成されたと思われる。その後,1509年ローマ法をとり入れた改革都市法典が編纂され,78年改訂が加えられた。 1333年市域は2倍以上に拡張され,新たな市壁の内部に農圃や果樹園を含むノイシュタットNeustadt市区が生まれた。…
※「改革都市法典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」