世界大百科事典(旧版)内の政治演劇の言及
【ピスカートル】より
…ドイツの演出家,劇場監督。ウルムに生まれ,俳優としてミュンヘン宮廷劇場の舞台を踏んだのち,第1次大戦に参戦,戦後は平和主義者,社会主義者として政治(左翼)演劇を提唱し,1920年代にベルリンでアジプロ的プロレタリア演劇運動を開始した。幻灯,映画,回り舞台などの舞台メカニズムや,朗読,講演,シュプレヒコールなどを多用して,上演戯曲の芸術性(文学性)よりも時局性や報道性を重視する一種の〈政治レビュー劇〉を多数演出した。…
【ワイス】より
…しかし,しだいに社会との接点を求めるようになり,外向性へと変貌していく。個人主義と全体主義を対置させて第三の立場を求めた《マラ/サド劇Marat/Sade》(1964)の成功が転機となって,個人主義を清算したワイスは,世界を抑圧から解放する闘争に参加することを決意し,形式的にも新しい政治演劇《追究》(1965),《ルシタニアの怪物の歌》(1967),《ベトナム討論》(1968)を発表した。これに続く《亡命のトロツキー》(1970)では教条的左翼と一線を画し,《ヘルダーリン》(1971)によってこの狂気の詩人に新たな評価を与えた。…
※「政治演劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」