世界大百科事典(旧版)内の敗戦責任論の言及
【戦争責任】より
…連合国の戦争責任追及政策は〈開戦責任〉が基調となっていたが,当初の日本側の受止め方は〈敗戦責任〉が多かった。日本敗戦直後の東久邇稔彦内閣は〈一億総懺悔(ざんげ)〉による天皇への敗戦の謝罪を唱え,また国民の多くも敗戦の悲惨と戦後の苦境をもたらした軍部,官僚など戦争指導者を怨嗟(えんさ)する敗戦責任論に共感した。その後,東京裁判の公判とともに戦争指導者の開戦責任が焦点となったが,戦争の被害者の側面だけでなく,アジアの民衆に対して加害者の立場にあった国民の主体的な戦争責任問題も提起された。…
※「敗戦責任論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」