教主道君皇帝(読み)きょうしゅどうくんこうてい

世界大百科事典(旧版)内の教主道君皇帝の言及

【徽宗】より

…その結果,宋は1123年(宣和5),燕京とその付近6州の地の割与をうけたが,その時結んだ約束を実行しなかったので金軍の怒りを買い,25年,宋の国都開封は金軍の攻撃をうけることとなった。金軍南下の報に接した徽宗は,あわてて皇太子(欽宗)に譲位し,道士となって(教主道君皇帝という)26年(靖康1),ひそかに鎮江(江蘇省)まで逃れ,金軍北帰ののち開封へ帰った。しかし,宋は金との約束を履行しなかったので,この年開封は再度金軍の攻撃をうけて陥落した。…

※「教主道君皇帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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